地域人材育成研究会は、雑誌『地域人材育成研究』第6号掲載予定記事(プレプリント版)として次の記事を公開します。

島根県の高校魅力化初期における県行政の状況――板倉寛「離島・中山間地域の高校魅力化・活性化に取り組む現代的意義」論文に関するショート・ライフストーリー――

『地域人材育成研究』第6号掲載予定記事(プレプリント版)Private File - Access Forbidden

本記事では、高校魅力化が島根県の政策として開始されようとしていた当時に文部科学省から島根県庁に出向されていた板倉寛氏にインタビューをおこない、県の行政を中心に当時のことをショート・ライフストーリーの形で振り返っていただきました。

文部科学省は、現在、2021年中央教育審議会答申「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号)」を受けて、「高等学校の特色化・魅力化」と呼ばれる高校教育改革を全国で進めています。

今次の高校教育改革の源流の一つは、2007年に島根県隠岐島前高校で開始されその後、2011年に島根県の施策として島根県の離島・中山間地域で地域と学校が協働することで地域活性化、教育の魅力化を進める「高校魅力化」であると言われています。

当時、生徒数減少が進む島根県の離島・中山間地域の高校は統廃合の瀬戸際にありました。そうした中で、単なる生徒数確保による高校存続ではなくて、地域との協働を通じて教育改革自体をおこなおうとする高校魅力化が県の施策として始まりました。

板倉氏へのインタビューでは、高校の存続をめぐる厳しい状況が続いていた中で、当時の県、基礎自治体、高校がどのような状況にあったか、県の行政の中にいた板倉氏自身がどのように関わったかを語っていただきました。

さらに、記事の付録として、板倉氏が島根県に出向当時、高校魅力化の方向性を整理するために執筆し島根県に残した論文である板倉寛「離島・中山間地域の高校魅力化・活性化に取り組む現代的意義」を所収しています。

この板倉論文は、当時の高校魅力化の県での位置づけを理解するための資料であり、かつ、高校魅力化へと船出した各高校で参照され影響を与えたという意味でも重要な資料だと考えられます。

※プレプリント版は「未定稿」であり雑誌『地域人材育成研究』掲載時の「確定稿」と形式・内容が異なることがあります。また、雑誌『地域人材育成研究』掲載時にはプレプリント版のファイルは削除されることがあります。